こんにちは、インディ(@aiirodenim)です。
先日、4歳の娘の寝かしつけに童話『裸の王様』を読んでいました。
誰もが知っているお話。
王様は仕立て屋(詐欺師)の言った「これはマヌケには見えない布」という話を信じて、それを仕立てた服を着てパレードに出たところ、「あいつ裸じゃん」って言われて笑われたってやつ。
そこで思ったのです、これってまさにファッションのトレンドのお話ではなかろうか、と。
今、私はタイに住んでいますが、たまに日本に帰ると街行く女子のファッションを見て驚きます…「え?なにそのかっこ・・・!?」と。
見慣れれば可愛く見えるのかも知れません。
TVや雑誌でそのファッションを着こなす芸能人の姿を脳に刷り込めば、可愛く見えるのかも知れません。
しかし、そんな「慣れ」や「刷り込み」の機会が普段無い私としては、日本に来るたび毎回「なんじゃこりゃ」の連続で…。
最新ファッションについて行けてない自分への寂しい気持ちと、「どう見ても可愛くないよなぁ」って言う冷静な気持ちが入り混じる、複雑な心境。
『裸の王様』で言うところの「え? あいつ裸じゃん?」と思わず口走ってしまいそうな気持ちになるのです。
そう、ファッションは、つまりは着る側の「洗脳」なのでしょう。洗脳されてない人から見れば、違和感しか無い。
そして、自分の今日のカッコを見返してみる・・・、あ、これも「洗脳」だ、と気づきます。
私達が好きなアメカジってパッと見は普遍的な万能アイテムだと思い込んでいますが、これこそまさに「洗脳」の塊。
そもそも、わざわざ高いお金を出して、古く非効率な生産方法とオーバースペックのこだわりで作られた、着心地の悪い洋服に身を包むのが、我々のアメカジファッション。
こう文字にしてみると、人類の99%は共感頂けないカテゴリーだと改めて思う次第。
その証拠に、全身キメキメのアメカジファッションは「周りのウケ」が良く無いですよね…。それを私たちは知った上で…洗脳されてるのです、いや、自分で自分を“好き好んで”洗脳しているのですよ。
特に、アロハシャツと帽子って、「自分の評価」と「他人の評価」が著しく乖離してしまう2大アイテムだと思います。自分はカッコいいと思って選んでも、他の人(特に家族)からはダサい・やめて・一緒に歩きたくないと、「非常に嫌がられる」ことが多いのです…それでも、好きなんだから仕方がない。
そう考えると、アメカジって「他人評価」は二の次の特殊なファッションカテゴリー。「自分の趣味嗜好」を確立している大人のための贅沢な趣味でしょう。
古いは、正義。
こだわりは、賛美。
非効率は、褒め言葉。
それは童話で言うところの、「他人評価しか気にしない人には見えない、不思議な布」なのでしょう、きっと。
最近はインスタもマメに更新中なので、宜しければフォローください↓
本日もご一読、ありがとうございました。
コメントを残す