こんにちは、インディ(@aiirodenim)です。
日々、国内外の様々なブランドのデニムを見続け、物作りの現場にも直接足を運び、自分でもジーンズを企画開発までした私が今、確信していることがあります。
近い将来。
日本の、滋賀県八日市が世界のジーンズファンの「聖地」となる日が必ず来るでしょう。
近い将来。
一人のアーティストの作り出すジーンズが、世界のデニムファンの間で伝説化するでしょう。
そして私たちは、彼と同じ時代に生まれた事を幸せだったと思う日が必ずくるはずです。
そう私が確信を持って本日お伝えしたいのが、ONE PIECE OF ROCK(ワンピースオブロック)と、その代表の小中さん。
滋賀県八日市に専用の縫製工場『CONNERS SEWING FACTORY(コナーズソーイングファクトリー)』を立ち上げ、自分自身でミシンを操り、ヴィンテージ縫製を徹底的に追求する職人=アーティストです。
私達が良く知る、いわゆるアメカジ系ブランドのジーンズへのこだわりとは全く次元が違うレベルの物作り。
業界の異端児であり、突然変異。
技術と品質に対して底抜けの欲求を持ち続け、業界の常識を破壊しながら理想を現実化する求道者。
先月私はその小中氏にお会いするため、その滋賀県の『CONNERS SEWING FACTORY』に足を運ばせていただきました。
何故、滋賀県八日市が世界のデニムファンの聖地となると確信しているのか?
何故、彼の作り出すジーンズが、世界のデニムファンの間で伝説化すると予想しているのか?
何故、彼の作り出すジーンズが、世界の頂点だと思っているのか?
そして何故、彼と同じ時代に生まれたことを幸せだと思う日がくるのか?
現地レポートと共に、本日はこの『ONE PIECE OF ROCK』と『CONNERS SEWING FACTORY』、
そしてその縫製職人=ニードルワークアーティストの小中氏の魅力を、全2回に渡ってお伝えしたいと思います。
デニムファンの方は必見です。
目次
100年続く伝説を作り上げる『ONE PIECE OF ROCK』
私はこのONE PIECE OF ROCKとCONNERS SEWING FACTORY、そして小中氏の名前は世界のデニムファンの間で100年語り継がれる「本物」だと本気で思っています。
見せかけのブランディングや広告は行わず、業界の常識に縛られず、クオリティの向上に全身全霊を捧げ、生産のプロセスも含めて「作品」と考えて至高のジーンズを作り出すブランド。
現場を実際に見させて頂いた後、そのポテンシャルの高さに震えたほど。
本日の記事が、世界に誇るONE PIECE OF ROCKの作品を実際に手にとって貰うきっかけになれば幸いです。
『ONE PIECE OF ROCK』と『CONNERS SEWING FACTORY』とは?
ONE PIECE OF ROCKは滋賀県・八日市にあるアメカジ店「FORTYNINERS」から派生したブランド。
そしてCONNERS SEWING FACTORYは代表の小中さんがONE PIECE OF ROCKのジーンズの縫製のために作り上げた工場(工房)になります。
概要は以前に記事にまとめてあります。↓
こちらを読んで頂いてから、以下続きをご覧ください。
1940年のアメリカがそこにある『CONNERS SEWING FACTORY』
滋賀県の八日市駅に近い、昭和にタイムスリップしたかのようなレトロで古い商店街の横道に入ると、突如として現れる異世界。
外観からして明らかに異質な雰囲気を漂わしているのが「CONNERS SEWING FACTORY」です。
古き良きアメリカの下町工場の雰囲気をそのまま切り取ってきたかのような佇まいの工房ですが、なんと創業は2013年。
まだたった4年ほどという、デニム業界の縫製工場としては非常に浅い歴史と言えます。
しかし一歩この中に足を踏み入れると、そこにあるのは創業4年目の縫製工場ではなく、70年前のアメリカの縫製工場です。
世界で唯一無二の縫製設備を揃えた『CONNERS SEWING FACTORY』
1940年代当時のヴィンテージ縫製を表現するために作られたCONNERS SEWING FACTORY。
その工房の中には外観以上の驚きの光景が広がっていました。
まず目につくのは、所狭しと並べられたユニオンスペシャル、シンガーなど、マニア垂涎のヴィンテージミシンの数々。
ここはミシンの歴史博物館か!? と思うほど。
私が行った当日、工房に並べられているヴィンテージミシンの数は20台ほどがズラリ。
ここCONNERS SEWING FACTORYの凄さは、これらのヴィンテージミシンの全てが今も毎日ONE PIECE OF ROCKのジーンズ・ジャケットを縫製するために稼働させている現役の設備なのです。
私たちがよく見聞きする「裾のチェーンステッチをするユニオンスペシャル」っていうのは当然。
本縫い、巻き縫い、カンヌキなど、、、ジーンズの箇所ごとに違う縫製を全て、数台のヴィンテージミシンを使い分けて縫い上げる設備が揃っています。
これは閂留め専用のシンガー。
貴重なヴィンテージミシンを所有して飾っている所があっても、これほどの台数を実際に稼働させている工場はおそらく世界でもここだけでしょう。
(ボタンホールだけはまだヴィンテージミシンでは有りませんでしたが、その設備を仕込み中でした。)
そして、これらの本物のヴィンテージミシンの数々を使い、日々至高のジーンズが生み出されています。
私もいくつか岡山の縫製工場を拝見しましたが、ヴィンテージジーンズを「再現」しているとして有名なレプリカ系ブランドさんでもヴィンテージミシンを使っているところは殆どありません。
通常それらの縫製工場では新しいミシン設備を使って当時の縫製の「再現」に取り組んでいます。
本物のヴィンテージのミシンを使っていても1台・2台。
そのことからも、このCONNERS SEWING FACTORYのこの設備は常識外としか言いようが有りません。
しかし驚くなかれ・・・
倉庫にあるのも含めて、所有するヴィンテージミシンは、300台だそう・・・
3台でもなく、30台でもなく、【300台】。
桁・・・間違ってませんかね(’ ’)
ヴィンテージミシンを扱うミシン屋さんよりも、下手すればヴィンテージミシンの博物館よりも多い台数を所有しています。
そして、創業からたったの4年間でこの設備を作りあげたCONNERS SEWING FACTORYの凄さ。
ニードルワーク・アーティストの小中儀明氏
それを作り上げた張本人、ブレーキが一つ二つ壊れている職人=ニードルワークアーティストが、CONNERS SEWING FACTORY代表の小中儀明さんです。
天才って、どんな業界でもブレーキとか常識とかいう言葉が頭の辞書から抜けている人。
小中さんはご両親のお仕事の関係で、中学生の頃からミシンを踏む縫製職人界のサラブレッド。
そして一度は美術系の道に進んだアーティストでもあります。
元々ヴィンテージのリーバイスが大好きで、これまで見てきたヴィンテージは数百本。
誰よりもリーバイスをリスペクトし、若くして手にした縫製経験の視点から1940年代当時のリーバイスの生産背景まで理解ができる職人でありアーティストです。
機械にも精通し、これら膨大なヴィンテージミシンの設定やメンテナンスも自らこなしています。
そんな彼が職人の視点、アーティストの視点、そしてヴィンテージジーンズのファンの視点で「本物のヴィンテージ縫製の表現」を目指して作り上げたのが、このCONNERS SEWING FACTORY。
ここでは1940年代の縫製の技術や仕様はもちろん、
当時と全く同じ生産環境を作ることで本物のヴィンテージが表現できる、という「極論」に近いポリシーの元、様々なヴィンテージミシンを世界中から集めて今に至ります。
創業当時は「全てをヴィンテージミシンで縫製するなんて無理」と周りから言われたそうですが、そんな言葉に耳を貸さず、ここまでミシンを集めた工房を実現させた凄まじい情熱。
そもそもヴィンテージミシンは現存数が非常に少ないのと、その中で稼働する程度の良いものがさらに少ない、程度が悪いものでも希少価値があるため非常に高価。
これを「全ての工程ごとのヴィンテージミシン」を揃えるとなると、資金力だけではなく運も必要になることでしょう。
きっと、誰もがそれが理想だと思っていた。
しかし、誰も実現できると思ってなかった、誰も実現してこなかった。
しかし、小中氏とONE PIECE OF ROCKはそれをやり遂げた。
それは世界中のどのブランドよりもヴィンテージの雰囲気を表現することに本気であるという証拠に他なりません。
そんな彼が作るジーンズに、魂がこもっていないはずが無いのです。
裁断・縫製・仕上げの全行程を小中氏一人で行う
ヴィンテージミシンで縫えば、それはヴィンテージと同じだ・・・とは当然言えません。
当時のリーバイスの生産背景に思いを馳せて、縫製の手順、仕様、技術まで徹底研究してきた小中氏。
その小中氏が自ら、オーダーされたONE PIECE OF ROCKのジーンズの全てをこのCONNERS SEWING FACTORYで裁断・縫製・仕上げまで全て一人で行っています。
もちろん、これらのヴィンテージミシンを全て使って、です。
ヴィンテージジーンズの縫製を理解し、確かな技術を要した彼自身が縫製をすることで、ただのジーンズではない「作品」が作り出されます。
その数なんと・・・一人で月に150本を縫製するそうです。
しかも、毎月150本縫うって分かっているのに、まとめて裁断・縫製をしないのがポリシー。
いや、クレイジーでしょう!?
都度1本分のデニム生地だけ裁断し、1本の縫製に全ての神経を集中させて完成させます。
その条件下に関わらず1本を縫うのに約50分。とんでもないスピードです。
私もジャケットをオーダーしたのですが、小中氏とのおしゃべりを楽しみながら、ものの1時間で完成しました。。。
卓越した縫製技術の「手曲げ縫製」
ヴィンテージを研究し、そこで得た縫製ノウハウを作品に落とし込む小中氏。
当時のジーンズのもつ空気感すらも表現するため、設備だけでなく些細な技術にも徹底的にこだわっています。
その代表格が、「手曲げ縫製」。
通常ジーンズの生産の工程の中で、例えばバックポケットのように折り曲げて縫製するパーツは事前にアイロンがけをして折り曲げた型を作っておきます。
その方が縫製がしやすいし、技術の無い縫い子さんでも綺麗に縫い付けられるからであり、パーツはアイロンがけをしておくのが「当たり前」というのがジーンズ製造工程の常識。
しかし、小中氏は「1940年代当時の縫製現場ではアイロンがけなどしていなかった」という事実に元づき、彼の全ての縫製工程では一度もアイロンを使わない「手曲げ縫製」という手法を使います。
この技術を使う縫製部分は若干ボコボコとウネリが出て、それがヴィンテージ特有のアタリに繋がるとのこと。
今まで、この技術を使う人など聞いたことが無く、どのようなものか想像すらできませんでしたが、実際にその技術を見ると圧巻の一言。
アイロンでパーツの形を固定していないため、技術がなければ簡単にズレたり歪んでしまいます。
しかし小中氏は一切目印もつけず、体に染み付いた感覚で必要箇所を指で折り曲げて迷いなく針を落としていくのです。
それも通常のミシンよりもガタガタと暴れやすいヴィンテージミシンを、自身の手足のように操って。
ヴィンテージミシンを毎日使い、月間150本もの数を自分で縫製するからこそ習得できる技術だと一目で分かります。
この設備に、この経験に、この技術、そしてそれを実現させようという熱意。
ヴィンテージミシンを揃えただけで満足して「ヴィンテージと同じことをやったよ」と自慢げに言いたくなりますよ、普通なら。
こだわり抜かれたディテール
そもそも、ここまでヴィンテージミシンを世界から集めて稼働させることに並々ならぬ情熱を燃やしている方が、使うパーツに妥協をするはずが無いのですが・・・
例えば縫製綿糸はなんとアメリカで紡績してオリジナルで染色したもの。
日本国内とアメリカとでは糸の太さの考え方が違い、日本は「番手」、アメリカは「テックス」と呼び計測単位も違うため、1940年代のヴィンテージ縫製を表現するために開発したオリジナルを使われているそうです。
使っているデニム生地も、ヴィンテージの色落ちと質感を表現するために作られたオリジナル。
私の口からはっきりとは申し上げられませんが…
デニムファンの間で一番ヴィンテージに近い色落ちをする事で有名な某ブランドのデニム生地を作る機屋さんと一緒に糸から作りあげた一品だそうです。
私も数々のデニム生地を見てきましたが、非常に素晴らしい質感と色味でした。
小中氏も、この生地は通常のセルビッチ生地よりもかなり予算をかけて生産しているそうです。
ボタン類もモデルによって数種類使い分けています。
すでに業界では孤高の存在
「ヴィンテージの再現」というキャッチコピーは良くアメカジブランドでも使い古された言葉ですが、私のこれまでの見聞の中で言えば、小中氏とONE PIECE OF ROCKの目指しているレベルは別次元の存在に感じます。
ここまで次元の違うモノづくりをされると、今の雑誌メディアでは上手に表現することが難しいのではと想像します。
あまりにも他のレプリカ系ブランドとの差が凄すぎるので・・・。
しかし、私のこのブログでは言いたいことが言える。
今これを読んでいただいている皆さんには本当に良い「モノ」を手にして貰いたいし、良いものに囲まれて幸せになって貰いたい。
だから声を大きくお伝えしたいのです。
ONE PIECE OF ROCKとCONNERS SEWING FACTORYと小中氏から目を離すな、と。
そしていつか必ず、彼の作品をあなたの手にとって確かめて欲しい、と。
最大の魅力は、最強のヴィンテージ設備+縫製技術+「未来の伸びしろ」。
誰もが無理と言われたことを“あっさり”と実現した今も尚、オフの時も常にジーンズの縫製のことを考えているという小中氏。
この仕事はまさに天職だと笑顔で語り、ミシンを踏み続けていました。
驚くことに、ここまでの設備を作りながらも「これが完成かどうかは自分もわからない」と語ります。
ヴィンテージミシンと一言で言っても様々なミシンが存在するため、今でも世界中から集め、それらをメンテナンスして試し、目指すヴィンテージ縫製が出来るものを随時導入(入れ替え)して行くのを今も続けているから。
日々、ヴィンテージの表現を高めるために実現したいことが際限なく出てくると言います。
そんな小中氏の目指すブランドの形と、作り出す作品。
今でも十分凄いのに、これから5年後、10年後にどこまでのブランドに成長しているのか・・・それを世界がどう評価するのか?
楽しみだと思うのは私だけでは無いはずです。
彼が目指す理想の先に作られるジーンズはどのようなものなのか?
同じ時代に生まれてきて良かった。
伝説となる条件を兼ね備えた、日本のデニム界の星
小中儀明氏。
中学生の頃からミシンを扱う技術と経験を持ち、
数百本のリーバイスのヴィンテージを研究し尽くし、
並々ならぬ情熱で入手の難しい設備を世界から買い集め、
毎月150本のジーンズの生産の全てを自分一人で行う経験値を日々積み重ねて、
そしてまだヴィンテージ縫製の表現に対する向上心を持ち続ける彼の作品に、今から一体誰が追いつけるでしょうか。
まだ若い彼は、これから世界のヴィンテージ縫製を牽引する重要人物になるでしょう。
そんな伝説のアーティストのジーンズが今、日本で手に入れることができる私たちは、幸せ者です。
縫製工房を一般開放しているCONNERS SEWING FACTORYは世界の聖地になり得る
ここまで設備と技術を用いてジーンズが作られるCONNERS SEWING FACTORYは、驚くことに一般見学を開放しています。
通常、縫製工場は一般見学をNGとしているところが多いのですが、こんなところでも小中氏は異端児ぶりを発揮。
小中氏の作品が世界で伝説化した後、
世界で唯一無二の存在のこの工房と、そこで技術を駆使してジーンズを縫っている小中氏の姿を見るために、世界のデニムファンが巡礼に訪れる日が来ることは想像に難くありません。
それだけの求心力のある場所です。
ジーンズ好きを自負する方は、ぜひ一度は訪れて見てはいかがでしょうか。
ジーンズに対する価値観がちょっと、変わるかも知れません。
オーダーはCONNERS SEWING FACTORYにて。半年待ち。
この日に縫っていたジーンズは、なんと半年以上も前にオーダーが入っていた「S409XXX M-WW2 Santa Cruz」。
大戦モデルの中でもサンタクルーズ工場で作られたモデルを表現したモデルです。
国内にディーラーさんは4社ほどあるらしいですが、一人で全行程の生産を行う都合上、これ以上増やさないそうです。
基本的にはここ滋賀県の『CONNERS SEWING FACTORY』に来なければ実物が見れないし、オーダーも出来ません。
そして、数ヶ月〜半年待ちという状況のため、オーダーは出来てもその日に購入して持ち帰りできるわけではありません。
しかし・・・ここまでのモノを作れる人と工房は、世界でココだけ。
逆に、今だからこそまだ半年待つだけで手に入れられる状況だと言えるでしょう。
このONE PIECE OF ROCKとCONNERS SEWING FACTORY、 そしてその小中代表の伝説はまだ始まったばかり。
その②に続きます。
最近はインスタもマメに更新中なので、宜しければフォローください↓
本日もご一読、ありがとうございました。
私も手にして履きたいと思うのですが、店舗にお邪魔させていただき、オーダーを受ける流れでいいでしょうか?また、オーダーを断られることなどはありますか?
>大和谷さん メッセージありがとうございます。ご質問の件ですが、私が知る限り、現時点ではオーダーはもう受けていらっしゃらないかと思います。念の為、直接Forty Ninersさんにお問い合わせいただくのが宜しいかと思います。